「真言律宗と忍性塔」参加

平成31年4月8日

横濱金澤シティガイド協会主催の「真言律宗と忍性塔」に参加して極楽寺駅から、鎌倉駅まで歩きました。

極楽寺駅前です。最近整備されたようです。
極楽寺正面入口です。本尊釈迦如来が御開扉になっていて、 拝観することが出来ました。極楽寺は真言律宗のお寺で、開山は忍性、開基は北条重時で1259年に創建とのこと。
月影地蔵堂です。今は稲村ケ崎小学校の裏にありますが、もとは月影ヶ谷に あったもので、いつ頃か極楽寺の奥の西ヶ谷に移りました。親孝行な、哀れな童女・露のために建てられてお堂です。
開山忍性菩薩五輪塔(忍性塔)を見ることができました。本日(4月8日)のみ 公開の忍性の墓です。当時、律宗教団では、五十六億七千万年後に仏となってこの世に下生し、 衆生を救済するという弥勒信仰があり、そのために、長い年月に耐える硬い石で巨大五輪塔を建立し、 その下に金銅製の骨蔵器を入れて火葬骨を納めたとのこと。
伝上杉憲方墓です。山内上杉氏の祖であり、関東管領を務め、山ノ内の明月院 の開基として知られています。
星の井です。鎌倉五井の一つで、傍らに星月井の石碑があります。 かつては昼なお暗い場所であったので、星月ガ谷となつけられていました。明治時代には井戸付近に 茶店が出来て賑わったとのこと。
御霊神社です。祭神は鎌倉権五郎景政で、平安末期の創建とされます。 特に例祭日に行われる面掛行列が有名です。
長谷寺前です。トイレ休憩のみでした。
甘縄神明神社です。長谷の鎮守で、710年染屋時忠の創建で、1081年に 源義家が社殿を再建したとのこと。
盛久頚座です。主馬盛久は、平盛久のことで、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した後、都に潜伏したが、 鎌倉へ送られ、首を斬られることになった。しかし、盛久の首をはねる役の者の太刀が根元より折れ、 さらに光ものが出現するなどの怪奇が起こった。このため処刑は中止となり、盛久の罪は許された上、紀伊に所領まで与えられた。 この話をもとにした謡曲で「盛久」があるとのこと。
塔の辻です。その昔、由比の長者時忠の子供が鷲にさらわれ、追っかけたけれどもつかまらず、 散らばっている肉片などを見つけると我がこの子の骨や肉ではなかろうかと思い、、その所々に塔を建てて、供養しました。 それで、鎌倉のあちらこちらに塔の辻と言う所があり、ここもそのひとつであろうといいます。
六地蔵です。鎌倉時代の刑場があり、そこで処刑された罪人を弔うために 六地蔵を祀ったのは始まりです。
裁許橋です。鎌倉十橋の一つで、裁許していた門注所の 付近にあったため名付けられたと言われています。
門注所跡です。1184年に設置された、裁判する鎌倉幕府の一機関でした。
御成小学校の門前です。校名の看板は高浜虚子筆によるものです。 かつては明治天皇の皇女のための御用邸があったところで、関東大震災で崩壊した後、再建されることはなく、 1931年(昭和6年)に廃止され、鎌倉町へは払い下げられた。1933年(昭和8年)、 鎌倉町立御成小学校が開校し、正門には御用邸の冠木門が引き継がれたとのこと。、
鶴岡八幡宮にむかう壇葛を歩いてみました。まだ桜が若木です。
源氏池です。周囲にはまだ桜が残っていました。
若宮(上宮)前の大イチョウはまだまだ大きくなっていませんでした。
平家池の桜です。
鎌倉駅に戻る途中に、本覚寺に立ち寄りました。花まつりで、本堂前には厨子に入ったお釈迦様に 甘茶を掛けるようになっていました。

最初は雨降りのなか、そして途中からは日も出てきましたが、たいへん寒いなかでの 散策でした。

―以上―