「浦島伝説ゆかりの地を歩く」参加

平成31年4月28日

保土ヶ谷ガイドの会主催の「浦島伝説ゆかりの地を歩く」に参加して、 子安駅から東神奈川駅まで歩きました。

神奈川の浦島伝説
昔、相模国三浦を納めるの浦島太夫は朝廷からの命で、、一家で丹後国(現・京都北部)に移住した。太夫には太郎重長という息子がいた。 ある日、太郎が小舟で釣りをしていると、五色に輝く珍しい亀を釣り上げた。太郎が船の上で居眠りをしている間にその亀は美女(乙姫)に変化し、 太郎は乙姫に連れられて竜宮城に行き、歓待を受けた。 3年が過ぎて父母のことが恋しくなり、乙姫から玉手箱と観音像を授けられ、父母のいる丹後国へと戻る。 しかし、父母も知人も見当たらず、ゆかりの跡すらない。 困った太郎は、観音像に祈ると、夢の中で「故郷の相模国三浦へ」とお告げを受け、観音像を背負い玉手箱を抱いて相模国へと向かう。 三浦に戻った太郎は、太夫の9代後の子孫に会い、太郎の父母は300年前に武蔵国白幡に葬られているということを教えられ、 300年も竜宮城にいたことを知る。 、白幡の峰までたどり着くと、一本の松に不思議な明かりが灯り、その下に行ってみると両親の墓があり、この明かりは乙姫が太郎に墓の場所を知らせるために灯したものであった。 太郎は、墓のそばに庵を建て菩薩像を安置して父母の霊を弔い、姿を消した。 後に、乙姫が明かりを灯した松は「龍燈の松」と呼ばれるようになり、太郎の庵は立派な寺院として建て直され「観福寿寺」となった。 「観福寿寺」は慶応4年に火災にあい、再建されることなく廃寺となった。
子安海岸です。武蔵国白幡に葬られているということがわかった浦島太郎が、漸く父母の眠る地に辿りついたのが この浜と伝えられています。
足洗井戸です。子安の浜で太郎が長旅で疲れた足を洗ったと云われる井戸です。
足洗川です。今では暗梁化されていますが、太郎が足を洗ったとの言い伝えもあります。
蓮法寺です宝永7年小田原の建立したと伝えられています。移転を繰り返し、大正15年に 現在地に移りました。観福寿寺の裏山に放置されていた浦島太郎伝説関連石造物を保管しています。
浦島中コミュニティハウスで休憩です。
龍燈の松跡です。現在は団地の中にありますが、観福寿寺の裏山にあたり、当時は 東京湾から入る船から良く見え、目印になっていたとのこと
浦島地蔵です。観福寿寺の所持で旧東海道に面した参道入口にありました。慶応4年の 大火で観福寿寺が廃寺になったため、この浦島地蔵を牛車で載せて慶運寺に運ぼうとしたところ 牛が一寸も動かいないので元の所に安置することにしました。
付近の浦島公園です。ここの遊具にも亀が見られます。
神奈川地区センターで休憩です。ここにも亀の看板やゆるキャラが飾られて いました。
成仏寺です。庭に浦島太郎が腰をかけて泣いたという涙石が残っています。
慶運寺です。永享年間に開創とされていますが不詳です。浦島観音堂には、本尊浦島観音と 浦島大明神(浦島太郎)・亀化竜女神(乙姫様)が祀られています。門塔に浦島観世音浦島寺と書かれていて、 台座が亀のようですが耳があり、龍のようでもあります。

天気にも恵まれ、ノンビリ歩いて浦島伝説に浸たることができました。

―以上―