義経と一遍上人と藤沢宿 今と昔
ーゆかりの地を訪ね、”歴史のまち並み”体感ー

2019年10月29日

鎌倉ガイド協会主催の「義経と一遍上人と藤沢宿 今と昔ーゆかりの地を訪ね、”歴史のまち並み”体感ー」に 参加し、雨の中 藤沢駅から藤沢本町まで歩きました。

寛文13年(1673)の庚申供養塔です。
江の島道・江の島弁財天道標です。かつてあった「江の島弁財天一ノ鳥居」があり、 その脇に「ゑのしま道」と刻まれた江島弁財天道標がありました。
古い蔵作りの家がまだ残っていて、イベントなどにも活用されています。。
霊験顕著なる金砂山子育安産帯解観世音菩薩です。
ふじさわ宿交流館に立ち寄りました。
清浄光寺(遊行寺)入口です。清浄光寺は時宗の総本山です。遊行寺の創建は、一遍の跡を継ぎ、第二祖となった 他阿真教上人が独住(隠居生活)を始め、そのあと独住が習わしになり、第四代他阿呑海上人が隠居するときに創建した隠居場が藤沢道場と呼ばれ、 その後現在の清浄光寺となったとのこと。
眞徳寺の赤門です。鎌倉北条氏邸より赤門を寄付され以来、朱塗りの門が作られています。
清浄光寺の本堂に上がりました。
遊行寺宝物館です。
延文元年(1356)に鋳造された清浄光寺銅鐘です。この銅鐘は、一時小田原に持ち去られましたが、 江戸時代初めに遊行寺の檀徒により取り戻されました。
南部右馬頭茂時の墓です。鎌倉幕府が滅亡した時、北条一族に従って戦死し、その墓と伝わっています。
遊行寺の宇賀神です。徳川家の祖先、有親公の守り本尊と言われています。
長生院です。小栗堂の別名の通り、小栗判官伝説に登場する照手姫が晩年尼となって住んだという伝説が残ります。 周囲には小栗判官と十勇家臣の墓、照手姫の墓、名馬鬼鹿毛の墓もあり、小栗判官伝説伝承の中心地となっています。
小栗判官と十勇家臣の墓です、
照手姫の墓です。
名馬鬼鹿毛の墓です。
藤沢敵味方供養塔です。上杉禅秀の乱で戦死した敵・味方を供養するために応永25年(1418)に 造立されました
永勝寺です。飯盛旅籠「小松屋」の墓地があり、飯盛女の墓碑39基が並んでいます。
義経首洗井戸です。境川を遡り漂着しtが義経の首を里人がすくい上げ、この井戸で洗い清めて手厚く葬ったと 言われています。
白旗神社です。義経の怨霊に苦しめられた頼朝が、藤原次郎清親に命じて義経の霊を祀らせたのが興りと伝わります。
天保6年(1835)に造営された社殿は、本殿・幣殿・新殿を連ねて流権現造りです。
本殿階段したにある「源義経公慰霊碑」は、平成11年義経公没後810年を記念して 離れていあ首と胴体の霊を併せて供養したものです。
最近作られた「源義経公武蔵坊弁慶公之像が設置されていました。

歩いて藤沢本町の駅に出て帰りました。

―以上―