「畠山重忠の史跡を帷子川沿いに巡る」参加

2020年11月22日

「保土ヶ谷ガイドの会」主催の「畠山重忠の史跡を帷子川沿いに巡る」 に参加して鶴ヶ峰駅から西谷駅まで歩きました。

  鎌倉武士の鏡と称賛された畠山重忠が、偽りの招きで鎌倉に参じる途上、鶴ヶ峰の地で北条義時率いる大軍の 待ち伏せに遭い非業の最期を遂げました。

鶴ヶ峰駅から歩きだします。
鎧の渡し緑道です。河川改修による跡地は遊歩道として整備されています。
緑道の突き当り・旭区役所の中に、「首洗い井戸」、「鎧の渡し」の碑があります。
首塚です。愛甲三郎季隆の放った矢で最後を遂げた重忠の首を祀った所と言われています。
交差点の角に、鶴ヶ峰・二俣川合戦の地(畠山重忠公終焉の地)の 碑が建てられています。
鶴ヶ峰と埼玉県本町の融資が建立した畠山重忠公碑です。
脇に植えられたさかさ矢竹と、その由来の説明文です。
「六ツ塚」です。重忠以下一族郎党134騎が埋葬されたと伝わる 、土を盛っただけの大小六つの塚です。
薬王寺です。重忠の命日に毎年、重忠以下一族郎党の慰霊祭が営まれています。
脇には、在住の葛籠貫氏が建てた霊堂建立の由来碑です。
駕籠塚です。重忠の内室「菊の前」が、合戦の知らせて駆けつけ、 重忠の戦死を知り自害し、駕籠ごと埋葬されたと伝えられて います。
水道橋を渡って河川沿いに進みます。
帷子川改修工事に残った旧河川を利用して作った「親水緑道」です。
帷子川分水路です。増水時に帷子川の水を分水して、新田間川を経て横浜港へ放流する 施設です。
学校橋です。
元気村だそうです。区内の唯一残る通称「西谷の田んぼ」で、 小中学生の田植え等の体験学習が行われています。
西谷駅から帰りました。

―以上―