旧東海道ゆっくり旅
「戸塚宿~藤沢宿」参加

2020年11月19日

横濱金澤シティガイド協会主催の" 旧東海道ゆっくり旅 「戸塚宿~藤沢宿」"参加して、 戸塚駅から藤沢駅まで歩きました。久しぶりのウォーキング行事の参加になりました。

戸塚駅から出発です。
駅前の清源院です。何度か訪れていますは、ちょっと上がったところにあるお万の方の火葬の跡は 、はじめて見ました。
内田脇本陣跡と澤邊本陣跡です。本陣創設時の当主澤邊宗三が、 保土ヶ谷宿と藤沢宿の間に、戸塚宿の開設を幕府に強く働きかけた功労者とのこと。
脇の羽黒神社です。1556年に澤邊河内守信友が羽黒大権現を勧請したのが始まりとのこと。 イチョウの色づきは、もう少しです。
海蔵院です。1363年創設の臨済宗円覚寺派のお寺です。
1572年 牛頭天王社を勧請っして始まった八坂神社です。お札まきで有名です。
富塚八幡宮です。1072年 源頼義・義家が社殿を造営しました。冨塚は、戸塚の地名の起こりとも 言われています。
上方見附跡です。
大坂台~鉄砲宿の間はバスで移動しました。
旧東海道松並木跡記念碑です。松並木は、昭和35年くらいから松くい虫の被害でほとんどが失われて しまいました。
遊行寺坂の一里塚跡です。崖上にあったそうですが、今はなにも残っていません。
遊行寺塔頭長生院の小栗堂です。古くは閻魔堂と呼ばれていたが、 照手姫により中興され長生院と改称されたと伝えられています。小栗判官の伝承は多く残っていて、後に創作されたものもあり、 それぞれにかなりの相違が見られ、説経節や浄瑠璃、歌舞伎など多くに脚色されているとのこと。また縁のある土地にもそれぞれの伝承が 残っています。 ここ長生院にも小栗略縁起がのこされています。(また以前参拝したことのある花王院にも小栗判官縁起絵図が伝わていますが、 長生院とは一部ことなり、判官の墓がここにもあります)
境内にある小栗判官公並びに十勇士の墓です。
照姫墓の墓です。
遊行寺です。一遍上人を開祖とします、時宗の総本山、遊行上人の住む寺からこの名がついたと伝わります。
貞松院跡地にある板割浅太郎の墓です。 国定忠治への忠義を貫いた板割浅太郎は、ある事件後に親分と決別し、時宗金台寺の列外和尚の弟子になり、さらに遊行上人の導きにより、 藤沢の地に移り遊行寺の堂司(堂守)を勤めます。その後遊行寺塔頭の貞松院の住職になります。明治13年の藤沢大火で遊行寺が 類焼したとき、全国を巡って浄財を募り遊行上人の仏恩に報いたいわれています。
ふじさわ宿交流館を見学後、藤沢駅まで歩いて解散になりました。

久しぶりのウォーキングイベント参加でしたが、巣ごもり生活からやっと脱却できそうです。

―以上―