「日蓮上人生誕800年、ゆかりの地をめぐる」参加

2022年1月15日

鎌倉ガイド協会主催の「日蓮上人生誕800年、ゆかりの地をめぐるー妙法寺の障壁画を拝観、 安国論寺で霊峰富士を望むー」に参加して歩きました。

鎌倉駅から歩きだしました。
最初は、日蓮上人辻説法跡のです。何度か立ち寄ったことはあるのですが、 最近新しい施設が隣に立てられています。まだオープンしていないようで、見学することが出来ませんでした。
東身延と呼ばれる本覚寺です。ここも何度か来たことがあります。源頼朝が鎌倉幕府の裏鬼門(西南)にあたる 方向に夷堂を建て、そこに佐渡配流から帰った日蓮が一時この夷堂に住み、辻説法を行ったとのこと。 また、祖師分骨堂には、身延山から移した日蓮の分骨を祀っているとのこと。
比企能員一族の邸宅跡に開山された妙本寺です。「比企の乱」でなくなった 比企一族の菩提を弔うため、比企能本が法華堂を建立し、日蓮に開山を依頼しました。日蓮は山号・寺号に比企能本の父母の法号を とって長興山妙法寺と命名しました。
参道の中ほどにある大きな切り株は、家康の側室、お万の方が植えた杉の木だったとのこと。
境内には梅やロウバイが咲き出していました。
比企一族の墓です。比企能本夫妻と父能員夫妻の4基が並んでいます。
頼家の子・一幡の袖塚です。比企の乱で焼死した一幡の遺骸は高野山に葬られましたが、 一幡の小袖の箸が残っていたのでここに納めて供養したとのこと。
こちらが本堂とのこと。
別願寺の前を通りました。鎌倉公方代々の菩提寺で、 境内には、室町幕府に対して「永享の乱」を起こした足利持氏(四代鎌倉公方)のものとされる供養塔(宝塔)があります。
妙法寺です。鎌倉で布教に乗り出した日蓮上人が草庵を結んだ地であり、「松葉ヶ谷の法難」の舞台になった ところです。
肥後細川家によって建てられた本堂内部です。左右には絢爛な障壁画が見えます。
苔の石段です。保護のため立ち入り禁止で、脇道から奥之院へ上ります。
奥之院御小庵跡、日蓮が通算20年住んだ松葉ヶ谷庵跡とされています。
安国論寺です。境内一円が松葉ヶ谷ですので、松葉ヶ谷霊跡、安国論寺と言います。 本堂の向い側にある御法窟で「立正安国論」を書かれ、執権北条時頼に建白されました。
松葉ヶ谷焼き討ちの法難時、一時避難された裏山にある南面窟跡です。
境内にある富士見台からの眺めです。
御小庵と、立正安国論を書き上げた御法窟(日蓮岩屋)です。

鎌倉を久びりに歩いた半日でした。

―以上―