「逗子の浜辺と丘」参加

2024年3月24日

横濱金澤シティガイド協会主催の「逗子の浜辺と丘」に参加して、 京急逗子・葉山駅から鎌倉駅まで歩きました。
逗子村の総鎮守・亀岡八幡宮です。鶴岡八幡宮の鶴に対して、小高い丘だった地を亀に 見立ててつけられたとのこと。
亀井児童公園にある亀井地蔵尊です。この付近は大墓と呼ばれる共同墓地だったとのこと。
真白き富士の嶺の歌碑がある逗子開成学園です
かつて別荘地として賑わった逗子海岸には、大正15年に 西洋式の「なぎさホテル」が建てられましたが、 平成元年に閉鎖されました。
徳富蘇峰の筆による「不如帰の碑」が海辺に立てられています。伊豆から江戸に城石用に運ぶ 途中に難破して沈んでいた鍋島石を利用したものとのこと。
もともと波切不動とか白滝不動と呼ばれていたのが、 徳富蘆花が小説「不如帰」の舞台にしたので、浪子不動と呼ばれるようになりました。 また建物の移築を援助した高橋是清・犬養毅の名を取って高養寺ともなっています。
新宿の鎮守である新宿稲荷社です。殿内は岩窟の中にあります。
披露山公園です。源頼朝が献上された貢物をここで披露したことから山の名前に なった説があります。展望台や、遊具、動物舎もあり、さらに尾崎行雄の記念碑もあります。
披露山庭園住宅です。昭和40年代に造成された高級住宅街です。。
伊勢町八幡宮です。石造りの覆屋は珍しいとのこと。
大井戸です。別名「殿の井」といわれ日照りでも枯れず人々の命綱だったとのこと。
鎌倉時代から漁港である小坪漁港です。埋立てによりマンション群が立ち並んでいます。
南北朝時代からある子之神社です。小坪村小名中里・谷戸の鎮守として祀られてきました。
小坪飯島公園近くのコミュニティーセンターで昼食をとりました。
和賀江嶋です。鎌倉時代に築かれた日本の現存する最古の築港の遺跡です。 材木座海岸の南端の相模湾上に築かれた人工の港で、現在でも干潮時に無数の玉石からなる 港の跡を見ることができます。
鎌倉十井の一つの「六角の井」です。
内藤家の墓地です。日向延岡城主・内藤家の歴代墓地で、 江戸時代初期以来、代々のものが一墓地に建立されています。
北条経時開基の光明寺です。現在、本堂は大修理中です。
滑川の東側の材木座海岸です。鎌倉時代後期、材木商人が幕府の保護で座を作りました。
この辺りから雨が激しく降り出し、駆け足での散策になりました。
ここは鎌倉幕府御家人「畠山六郎重保」邸跡とされ、大型の石造宝篋印塔(ほうきょういんとう)です。 畠山重保の墓塔と伝えられています。
駆け足での状態で、鎌倉駅へ出て帰りました。
―以上―