「江ノ電の魅力に触れ春の鎌倉散歩
~湘南の海と江ノ電沿線の史跡を満喫~」参加

2024年4月10日

鎌倉ガイド協会主催の「江ノ電の魅力に触れ春の鎌倉散歩 ~湘南の海と江ノ電沿線の史跡を満喫~」に参加して、鎌倉駅から江の島駅まで、途中電車にも乗って散策しました。
鎌倉駅前から歩きだし、最初は江ノ電・旧大町停留所跡です。戦前は路面電車としての運行で、 ここから先 横須賀線ガードをくぐって鶴岡八幡宮二の鳥居の 手前までつながって終点だったとのこと。戦後普通の鉄道となり、終点も現在の鎌倉駅西口になったとのこと。
道すがら見えた六地蔵です。
和田塚です。北条義時と和田義盛の武力衝突(和田合戦)の結果、和田一族敗死の屍を埋葬した塚として伝承されています。
和田塚駅から江ノ電に乗り、極楽寺駅まで移動しました。
極楽寺駅前です。関東の駅百選の碑や、土木遺産の銘板があります。
極楽寺隧道です。江ノ電唯一のトンネルで、明治40年に開通しました。 藤沢側は「極楽洞」、鎌倉側は「千歳開道」といいます。 土木遺産にも認定されています。
極楽寺です。1259(正元元)年、第2代執権北条義時の三男北条重時が創建し、 後に忍性が開山として迎えられました。
境内にある八重重一重咲分桜(御車返し)です。北条時宗お手植えと 伝わり、一本の木に八重と一重の花を咲かせています。
線路沿いの江ノ電検車区前を通ります。
阿仏尼邸址です。阿仏尼は鎌倉中期の女流歌人で、十六夜日記を書き記しました。
五差路の片隅に針磨橋の碑がたっています。鎌倉十橋の一つで、 昔、この付近に針磨をなりわいとする者が住んでいたということでこの名がある」と刻まれているとのこと。 ただ、看板を垣間見ただけで、碑を見逃してしまいました
袈裟掛けの松の碑です。龍ノ口の刑場に連れてゆかれる途中、 死を覚悟した日蓮聖人は、せめて神聖な袈裟だけは血に染まってはいけないと、 近くにあった松の枝に掛けたといわれています。
十一人塚です。1333(元弘3)年の新田義貞の鎌倉攻めの際、 極楽寺切通から攻め込もうとした新田勢の大将大館宗氏らは奮戦したものの、 多数が討死し、最後に残った11人も自刃したためここに葬ったと伝わります。
稲村ケ崎公園で昼食をとりました。稲村ケ崎は、 新田義貞が鎌倉攻めの突破口となった場所です。七里ケ浜や江の島、富士山まで望めます。
石段を上ったところにある展望台です。ゴッホは河川の記念碑もあります。
遠く、伊豆大島も見えました。
稲村ケ崎駅から鎌倉高校前駅まで江ノ電に乗車しました。ホームでも、そして近くの踏切でも 多くの観光客がカメラを構えていました。
小動神社です。風もないのに揺れる「小動の松があったとされます」
小動神社展望台からの眺めです。この左手には幕末、 腰越八王子山遠見番所が置かれていました。
浄泉寺です。もともと小動神社の別当寺でした。みごとな桜が咲いていました。
瀧口寺です。この地はかつて刑場跡で、文永8年(1271年)日蓮が処刑されそうになった龍ノ口法難の場所でもあります。 その後延元2年(建武4年、1337年)に日蓮の弟子、日法がこの地を「龍ノ口法難霊蹟」として敷皮堂という堂を建立したのが龍口寺の始まりと伝わります。
江ノ電・江の島駅から藤沢に出て帰りました。
天気にも恵まれ、サクラも楽しむことができた散策でした。
―以上―