≪聴いて、見て、歩こう≫
「日本の灯台の父「R.H.ブラントン」参加

平成30年3月3日

横浜シティガイド協会主催≪聴いて、見て、歩こう≫「日本の灯台の父「R.H.ブラントン」に参加しました。
講義のあと、関連地を巡りました。

波止場会館での講義
 大桟橋手前の波止場会館で、横浜市都市発展記念館の学芸員の方から、R.H.ブラントンの横浜での活動に ついて講義を聞きました。スコットランド人のR.H.ブラントンは、明治元年に来日し、全国の灯台26基を作ったほか、ここ横浜では、 横浜公園、日本大通り、居留地の埋立や護岸工事、吉田橋等の設計など幅広く活躍したとのこと。
開港広場内のマンホール
 ブラントンは、日本大通りなどにマグナム舗装の導入や、陶管の下水道など整備を行いました。 その後、明治14年から20年にかけて下水道改造工事が行われ、卵形レンガ管や陶管の下水道が整備されました。このマンホール は明治15年頃築造されたもので、公園整備の際発見され、当時の姿で保存されています。
横浜海岸教会
 1868年11月に横浜在住の外国人のための礼拝所・日本人のための英語教場として、石造りの小会堂が建設されました。
その後何度か立て直され、現在の会堂は1932年末に竣工したものです。 会堂の建物は1945年5月の横浜大空襲の際には、当時の渡辺連平牧師が、会堂の屋根にのぼって焼夷弾による建物の延焼を食い止め、 会堂を守ったとのこと。
旧居留地消防隊地下貯水槽遺構
 明治4年(1871)から明治32年まで、ここを本拠地とした居留地消防隊の 防火貯水槽として建造された、その後昭和47年まで使用されました。
横浜公園から見た日本大通りとR.H.ブラントン像
 日本大通りには、ブラントンの設計では、車道、歩道の外側の建物の直前に防火林設置されました。 関東大震災の復旧工事で、現在の姿(車道と歩道の間に防火林)の姿になりました。
電信創業の地
 横浜地方検察庁の玄関脇にあります。1869(明治2)年、この地にあった横浜電信局と東京電信局の間で、 日本で初めて電報が取扱われたとのこと。
神奈川運上所跡
 開港にともない、関税と外交事務を扱う神奈川運上所が。今の神奈川県庁所在地に設けられ 神奈川奉行の支配に属しました。明治元年(1868)明治政府に移管され、同5年(1872)横浜税関に改められました。
水陸両用バス
 おまけです。
灯明台役所(灯台寮)
 この辺りに、ブラントンによって明治2年(1869)灯台造りの拠点として灯明台役所が造られ、 明治6年(1873)試験灯台が作られ、全国の灯台に勤める人達の訓練所となりました。。

この後、桜木町駅まで歩きました。約2時間のウォーキングでした。

―以上―