見世蔵を眺めながら結城めぐり

平成30年1月9日

下記マップの青いラインにほぼ沿って、見世蔵を眺めながら結城を歩きました。

称名寺です。結城家初代朝光が鎌倉時代に開いた名刹で、境内に初代朝光から4代時広までの眠る墓があります。
結城酒造の酒蔵を覗き、にごり酒を購入しました。酒蔵は国の登録有形文化財に指定された現役です。
弘経寺です。徳川家康の次男である結城家18代秀康が長女松姫の菩提を弔うために創建した寺で、創建以来一度も消失していないとのこと。
安穏寺です。奈良時代に律宗の寺として創建され、源翁和尚によって禅宗の寺として改めて創建されました。その源翁和尚が使用したといわれる数珠や払子が今も残されています。境内にある山門は、赤門として親しまれています
源翁和尚の墓です。結城家八代直光の招きで結城を訪れ、安穏寺に4年間滞在したのち会津に行き、さらに那須では殺生石を二つに割り、 石の中にいた悪霊を成仏させた人物として知られています。殺生石にまつわる伝説から、石を砕いたりする槌を「げんのう」と呼ぶようになったといわれています。
体験工房「袖の里」です。機織りや藍染の体験ができる施です。
城跡公園です。公園となっているのは北東のごく一部分です。結城城は治承年間(1177~1180)に結城朝光が築いたとされています。 慶長6年(1601)の国替・転出ごは廃城となったが、その後元禄年間に水野勝長によって再興され、明治に至るまで水野家の居城と なりました。公園内には、蕪村の句碑もありました。
公園の南側には三日月橋が架かっています。堀のように見えるところは、結城埋蔵金を探すために掘り返した跡との話があります。
水辺公園の中を抜けていきます。
結城大本営跡(文化の広場)です。明治40年に結城町を中心にして陸軍特別演習が実施され、 その際、大本営が結城町に設置されました。結城小学校内に結城行在所が設けられ、明治天皇を迎えたとのこと。
首切り地蔵です。その昔、近くに刑場があり、あるとき地蔵の首が落ちたのでくっつけたが、 何回つけても落ちるという伝説が残ります
「結城の過去と未来の結び目」の結城蔵美館です。 結城市の新たな芸術文化を創造・情報発信する場として、そして結城の歴史的・文化的資料の収蔵・公開の場として造られています。 当日は1階のギャラリーでは岡山伸也「絵画展」が、2階には、天下の三名槍の一つで結城家の伝来の御手杵の槍(レプリカ)などが 展示されていました。
大輪寺です。結城家初代朝光が、僧を招いて移築し、結城家代々の祈願所になりました。 本堂内に室町時代に造られた木造の大黒天があるそうですが屋外にも石造りのものがありました。
紬のすべてがわかる施設・つむぎの館ですが、定休日で入れませんでした。
市内のあちらこちらに見られる見世蔵造りは、外壁を土塗り漆喰仕上げで厚く塗り籠めた木造防火建築で、 明治初期から大正期に建築されたもので。現在も紬問屋や老舗の商店に多く利用されています。

結城氏の城下町として、そして明治から大正に建てられた見世蔵が随所に残る結城氏の歴史を感じる散策でした。

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