「金沢に伊藤博文の足跡をたどって」参加

平成30年5月8日

横浜シティガイド協会主催の「金沢に伊藤博文の足跡をたどって」に参加して 金沢八景駅から野島公園駅まで歩きました。

金沢八景駅から歩きだします。駅前整備が進められています。
すぐ隣の瀬戸神社です。源頼朝が伊豆三島明神を勧請したのが起源とのこと。
琵琶島に入ります。平潟湾に浮かぶ琵琶の形をした周囲60mの小島です。現在は陸続きです。 入口には、頼朝が瀬戸神社参拝のおり、この石に服を架け、海水でみそぎをしたので服石とも呼びます。
琵琶島神社です。北条政子が琵琶湖の竹生島弁財天を勧請して、瀬戸神社の海中に島を築いて創建したと伝えられています。
瀬戸橋です。江戸時代には中の橋を設けた二段の橋で、大きな入り江を跨いでいました。 広重の「瀬戸の秋月」は、瀬戸神社周辺から海を見渡す地点から月を見る風景です。
明治憲法起草の地、明治憲法草創の碑が建てられています。明治20年、伊藤博文を中心に、井上毅、伊東巳代治、金子健太郎 の4名が、この付近の料亭・東屋根で明治憲法の草案づくりをしていました。その後夏島にある伊藤博文の別荘で草案づくりが続けられました。昭和10年に 東屋の庭に草創の碑が建てられましたが、東屋の廃業により、一時野島に移され、現在の三叉路ロータリーの再度移されました。
広重の「洲崎の晴嵐」洲崎の名が示すように、まだ海に突き出した崎であったころの様子を描いています。
帰帆橋の下を通ります。広重の「乙舳の帰船」に由来して付けられています。 金沢八景の一つで、乙舳から小柴の岬に向かう帆船の様子が描かれています。
夕照橋です。広重の「野島の夕照」にちなんで名づけられています。野島の漁師村に夕焼けが映えている様子が描かれています。
野島掩体壕です。野島山の東西をトンネル状に貫通させて、旧横須賀海軍航空隊の戦闘機を 守る施設として造られました。海軍の小型機100機を格納する計画でしたが、終戦で実際には使用されませんでした。
野島山山頂(海抜57m)から見える追浜の日産工場です。
山頂の展望台からの眺めです。八景島も目の前です。
旧伊藤博文金沢別邸です。明治31年に建てられた茅葺寄棟屋根の田舎風海浜別荘建築です。
博文邸牡丹園です。かつて野島にあった永島家の牡丹園を復元したものです。ただ 牡丹は既に終わっていてシャクナゲが少し咲いていました。(牡丹は現在金沢区の花になっています)
野島公園駅から、シーサイドラインに乗って帰りました。
金沢シーサイドライン(野島公園駅から新杉田駅まで)(動画:23分35秒)

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