「冨岡八幡宮神事(祇園舟)を拝観」参加(1)

平成30年7月15日

横浜金澤シティガイド協会主催の「横浜金澤の風物詩めぐり~冨岡八幡宮神事(祇園舟)を拝観~」に参加して 京急富岡駅から歩きました。

 鎌倉時代から続く伝統行事で、1年間の穢れを沖合遠く流し遣る「夏越の祓」と五穀豊穣と海の幸に感謝する行事が一緒になった神事です。

駅近くの「冨岡トンネル」です。第二次世界大戦時の空襲で多くの犠牲者が出たところだそうです。
旧川合玉堂別邸(二松庵)跡です。定期的に公開されています。
冨岡六地蔵と庚申塔です。明治以降に道路建設などで、周辺から集められたとのこ。
明治政府高官の別荘地跡です。この竹林は亀甲竹のようです。
冨岡八幡宮の社叢林は、横浜市指定天然記念物になっています。スタジイ林の高木が18メートルにも達しています。
鳥居の横には、株式組織の料亭旅館「金波楼」跡があります。八幡様の下の富岡村一番地に、木造二階建ての立派な旅館が明治十七年に建てられ、関東大震災で倒壊廃業するまで繁盛しました。
富岡の鎮守富岡八幡宮は、源頼朝が鎌倉鬼門(北東)封じとして、建久二年(1192)に摂津の国浪速の西宮の蛭子の命を勧請したのが始めとされています。 その後、安貞2年(1228)に八幡様になりました。
社殿の中では、神事が行われていました。
鯛みくじがありました。鯛の張り子付きのおみくじを、釣りあげるようです。
神社の横筋に「日本国憲法起草の地」の標識があります。昭和十年代に佐藤繁次郎が草屋根の大きな別荘(田舎家)を立てました。 新しい憲法の制定が論じられたとき、金森徳次郎がその長に就き、草案起草の時に此の田舎家に籠もって、草案を仕上げたと言われます。(ただ、現在は否定的見解が多いようです。)
真言宗御室派の花翁山慶珊寺です。もともと富岡八幡宮の別当寺でした。
富岡八幡公園のメタセコイアです。和名を「アケボノスギ」といい、落葉する前の紅葉は大変美しい姿を見せてくれるとのこと。
「海水浴発祥 宮の前海岸跡」と書かれています。 ヘボン博士もこの地を訪れ、この地が東京湾で一番海水浴に適していると推奨したとのこと。

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