横浜金澤シティガイド協会主催の「冨岡海荘図巻」を歩く 「失われた海岸線(磯子・杉田・冨岡)」に参加しました。 磯子駅集合で、歩きだしました。 屏風ヶ浦村役場跡碑が駅前にあります。この辺りまで海岸だったようです。 マンション「ブリリアンシティ磯子」のグランドエレベーターで屋上に上がります。 屋上からの眺望です。 さらにエレベータにあがった上のロータリー付近からの眺望です。 中村孝明貴賓館です。現在はレストランとして使われていますが、旧皇族の東伏見宮邦英侯爵の別邸 として建造されました。 朝日滝です。かつて汐見台の台地から湧き出る水を水源とした滝が落ちていました。これは復元されたものです。 森浅間神社です。明治年間に近隣の十二社が浅間神社に合祀されています。昭和53年に現社殿が完成しました。 森浅間神社下宮です。下宮は、急な石段を上るのが困難な人々のための為のお前立のような社です。 屏風ヶ浦駅から杉田駅まで電車で移動しました。 東漸寺です。1301年に北条宗長により、建立されたとのことです。 旧杉田劇場跡です。昭和21年の元旦に、この場所に杉田劇場がオープンしました。 この劇場で、あの美空ひばりも芸能界デビューしました。ただ横浜市内の復興につれ、わずか4年で閉館しました。 杉田八幡神社です。1063年に八幡太郎義家が岩清水八幡宮を勧請して創建したと伝えられています。 日蓮宗のお寺、妙法寺です。江戸時代初期に、領主だった間宮氏の菩提寺となり、 間宮氏が、梅の栽培を奨励し、妙法寺一帯は、観梅の名所になりました。 新杉田公園で昼食をとりました。杉田の梅を新たに植える活動が行われているようでした。 産土社・青砥綱之墓です。青砥藤綱は多くの文学作品や歌舞伎の題材として多く取り上げられたとのこと。 この墓碑は、藤綱の映画で大当たりした興行師が建立したとのこと。 北台展望台です。ここには、金沢が埋め立てられて広がっていく変化を示す図がありました。 三条実美別荘跡は、冨岡総合公園前の現在、国家公務員の官舎(今は使われていません)になっているところ だそうです。「冨岡海荘図巻」も中で描かれている付近には、この別荘も描かれているとのこと。 冨岡総合公園の周りを歩きます。目の前の神奈川県警の機動隊の場所には、 戦前飛行艇の滑走路と格納庫があったそうです。 慶珊寺です。富岡駅空襲(昭和20年6月10日)の犠牲者の供養塔が山門を入って右手にあります。 冨岡八幡宮です。七五三シーズンで、多くのお詣りの人がいました。 冨岡八幡宮で解散になり、京急富岡まで歩いて、電車に乗って帰りました。 ―以上―