埋もれゆく「下の道」を辿る
~丘陵上の尾根道を三ッ沢から帷子へ~参加

2019年11月18日

鎌倉ガイド協会主催の「埋もれゆく「下の道」を辿る~丘陵上の尾根道を三ッ沢から帷子へ~」参加して、 三ッ沢上町駅から保土ヶ谷駅まで歩きました。

法華宗初の檀林(僧徒のための学問所)となった豊顕寺です。北条早雲に仕えた多米元興が起こした本覚寺が 始まりで、領地三ッ沢に移して豊顕寺と改めました。学舎5棟、学寮25棟、学徒などが常に300人を下らない盛況を呈したと伝わっています。
門前橋から、三ツ沢せせらぎ緑道を歩いて、三ツ沢公園を目指します。
いつもの三ッ沢公園を通ります。
さらに、尾根筋を通って進みます。
旧古町橋跡です。江戸時代初期にこの場所に初期の東海道(鎌倉街道下の道)が帷子川を渡る橋があったとのこと。
神明社です。横浜市内で最も由緒の古い神社の一つ。榛谷御厨八郷の総鎮守として広大な社領を免ぜられ、隆盛を極めていたとのこと。 二俣川から保土ヶ谷にかけての帷子川流域一帯は、律令下では榛谷御牧と呼ばれる朝廷の牧場があったところです。
大蓮寺です。帷子の里の法華堂が初めで、寛永2年(1625)日圓が神戸山の小丘にあった法華堂を移して大蓮寺を建立しました。 徳川家康の側室お萬の方が寄進した持仏の宗祖木造とお手植え柘榴があります。
遍照寺です真言宗のお寺で、貞観18年(876)眞雅僧正が開創したと伝えられます。
金沢横丁の石碑です。旧東海道の東側、金沢浦賀往還への出入口にあたり、 信仰や観光地への道標が建立され、四基が現存します。
御台所の井戸です。北条政子がここを通りかかった時、この井戸の水を汲んで 化粧に使用したと伝えれます。
福聚寺です南北朝時代の創建で、十返舎一九の弟子、五返舎半九の墓があります。

さらに保土ヶ谷駅まで歩いて帰りました。

―以上―