浦賀道を歩く2
「逗子→葉山」参加

2019年11月20日

よこすかシティガイド協会主催の浦賀道を歩く2「逗子→葉山」参加にして、 新逗子駅から新善光寺まで歩きました。

新逗子駅から田越川沿いに歩くと、すぐに、蘇峰・徳富猪一郎顕彰の碑があります。ここ付近にお孫さんが 住んでいるようです。
六代御前墓です。六代御前は平維盛の子で、伊勢平氏の正盛から六代目にあたります。 北条時政に捕らえられ、田越河原で処刑されたといわれます。ここから少し丘を登ると、蘆花記念公園に入ります。
蘆花記念公園は、逗子の名を広く世の中に伝えた徳冨蘆花ゆかりの地に設けられた公園です。 その中にある旧脇村邸とは、木造二階建て和洋折衷洋式の数寄屋造りです。伝統的様式や技法で建築されており、逗子の歴史・生活・文化の感じられる建築物だそうです。
富士見橋です。ここに架かる橋はかつては田越橋と言われていました。
蘆花・独歩の地碑です。徳富蘆花や国木田独歩など明治の小説家に愛された旅館「柳屋」の跡地にあります。 この宿で蘆花の随筆「自然と人生」や人気小説「不如帰」が生れました、
鶴嶋公園です。本来の浦賀道は、この辺りから海岸沿いを通っていたようです。 また背後の旗立山には鐙摺城があり、衣笠城の出城でした。
日本料理の老舗日影茶屋です。創業は江戸時代中期で、入母屋造り、木造二階建ての本館は、昭和10年(1935)の建造です。
この辺りから逗子湾海岸の向かい側に、徳富健次郎之碑(蘆花・不如帰碑)が遠く 霞んで見えました。アップしてみました
海寶寺です。三浦33番札所になっています。境内に石造りの「葬頭河の婆」 がありました。
隣の須賀神社です。葉山で`総鎮守・森戸大明神`の境外末社です。社殿の中央の木彫りのところにウサギが掘られていました。
葉山マリーナで小休止です。味の素元会長で葉山マリーナ創設者・3代目鈴木三郎助翁像が 建てられていました。
諏訪神社です。諏訪の大神は、古来より風占いの神として漁の安全を祈る漁業者から篤い信仰があります。 境内入口にいる明治44年生まれの狛犬は、殆ど猿に近い顔つきをしているとのことですが、写真は撮りませんでした。
諏訪海岸でしょうか、海辺に降りてみました。
脇町の庚申塔です。十基内中央奥にある基には正面に「庚申講中」とあり、 向って右側面に「右みさきみち」左側面に「左うらがみち」とあるとのこと。
長徳寺です。臨済宗のお寺です。門が閉まっていて入れませんでしたが、庚申塔が 多数見えました。その中で大きなものは、延宝3年(1675)造立の高さ116cmの舟型、そして三猿が刻像されています。
幼稚園の後ろにある洋風建築は登録有形文化財の「イエズス孝女会修道院」です。 元々は東伏見依仁親王の別邸として大正3年(1914)に建てられました。
子守地蔵尊です。子守地蔵尊の由来は定かではないが、 昔、遅い町道の坂道があり、この坂を子守坂と称していたとのこと。 また、地蔵堂内には、道標を兼ねた地蔵菩薩塔があり、地蔵菩薩像は浮彫、その下に 道標の右うら賀、左やま屋と掘られています。
花の木公園で昼食を摂りました。ツツジの名所です。
平松地蔵です明治以前には松の大木があり、その根元のこぶを使って小さなお地蔵さんが作られました。 4基の庚申塔があります。
夜泣石と庚申塔です。夜泣きする子供を連れて一緒にお参りすると夜泣きが止むのだそうです。 夜泣き石の後方に「六地蔵や庚申塔など11基の石塔」があります。
一色前田の庚申塔です。造立は安永2年(1773)と書かれています。 この塔の安置場所には道祖神のご神体があったと思われる子産石や塔、馬頭観音塔があり、 浦賀道にかかる民間信仰の神まつり場であったと思われるとのこと。
滝の坂不動(吾妻神社」です。祭神は不動明王で、森山神社の余計神事では、ここでお水取りが行われます。 門前に湧き水が出ていて飲むことも出来ました。
唐木作の庚申塔です。町指定の文化財で、6基並んでいますが、その一つは造立は寛文12年(1672)です。 向かって右縁に「奉道立帝釈天王 上山口唐木作村」とあります。
新善光寺です。源頼朝が善光寺の分身仏をもらい受け、北条時政の名越の山荘に祀ったのが始まりといわれ、 文明年間に現在地に移ったとされます。今回はここまでです。

滝の坂バス停から、逗子駅まで出て帰りました。

―以上―