横濱金澤シティガイド協会主催の「横浜金澤七福神めぐり」に参加して、京急金沢文庫駅から八景島駅まで、 そして一度シーサイドラインに乗り、その後南部市場駅から京急富岡駅まで歩きました。 最初は正法院(福禄寿)です。赤井のお不動様で知られています。福禄寿は福(幸福・家内安全)と 禄(幸禄・収入・地位)と寿(長寿)の望みをかなえると云われています。 瀬戸神社(弁財天)です。目の前の琵琶島神社にも弁財天があります。弁財天は 立身出世、夫婦和合、縁結び、音楽・技芸の守り神と云われています。 洲崎神社です。元々、長浜の地にあったが、応長元年に大浪に村全体が飲み込まれ、 生き残った住民がこの地に移しました。雄と雌の獅子は、嘉永2年に作られ、戦前は年に一度の祭礼に若衆4人よって担がれ、 厄除けのために町内を巡行していたといいます。 龍華寺(大黒天)です。頼朝が瀬戸神社を建立した後、文覚上人とともに六浦山中に 建てた別当寺(浄願寺)が始まりです。大黒天は寺院専属の厨房の神として信仰されてきました。 伝心寺(毘沙門天)です。北条時頼が開基と云われ、楠正成の持仏毘沙門天像の 縁起書と伝わる寺宝があります。毘沙門天は知恵と武勇、戦勝の神と言われています。 八幡神社です。金沢文庫の古文書に700年前の称名寺造営の運ぶ舟が八幡河岸に陸揚げした、とあることから、 鎌倉時代に存在していたことがわかります。そしてこの辺りまで海だったことを示します。 ご存じ称名寺の前を通ります。 大橋新太郎別荘跡です。大橋新太郎は、共同印刷や書籍取次の東京堂を 創設して、印刷から販売にわたる出版コンツェルンを築きました。金沢の風景を愛して明治40年頃、 称名寺に隣接する海岸寺跡に別荘を構えました。称名寺の復興を支援し、金沢文庫復興のため建設費の 半分を寄付し、金沢山に八角堂を建て百観音巡拝の石仏を寄進するなど、地域振興に尽くしました。 旧金澤園です。昭和5年に、料亭と旅館の機能を併せ持つ旗亭「金沢園」が開業し、昭和初期の当地は「金沢八景」の名が示す通り景勝地で、 京浜地区の市民や文化人などが避暑に訪れていたとのこと。現在は、新オーナーが「旅館 喜多屋」と名付けて営業されています 宝蔵院(寿老人)です。寿老人は手に杖や宝珠、桃を持った長寿を司る神様です。 海の公園で昼食をとりました。この後、八景島駅まで歩き、シーサイトラインに乗り、南部市場駅から再度歩きだしました。 長昌寺(布袋尊)です。毎年3月に行われる芋観音の縁日には 多くの参詣者で賑わいます。直木賞の元祖である直木三十五の墓所もあります。布袋尊は弥勒菩薩の化身と云われ、 夫婦円満、功徳を施す神とされています。 冨岡八幡宮(蛭子尊)です。源頼朝が摂津・西宮神社の蛭子尊・エビス様を勧請し、村の守り神とし、 八幡様と一緒にお祀りされています。蛭子は生業を守り、福利をもたらす神です。 正月気分を味わった散策でした。京急富岡駅から帰りました。 ―以上―