「明治の砲台と夏島貝塚」参加

2020年10月25日

よこすかシティガイド協会主催の「明治の砲台と夏島貝塚」に参加しました。

追浜駅から歩きだします。
鷹取川に架かる夫婦橋です。鷹取山から切り出した石材がこの辺りから船積みされたとのこと。
埋め立てられ延長された鷹取川の上は、川の上に覆いかぶさった建物が並びます。終戦後の混乱の中で建てられたようです。
日産の工場群の間を通って夏島貝塚入口に着きました。夏島貝塚は普段閉鎖されていて、鍵がかかっています。 埋め立て以前には、追浜沖に烏帽子岩を挟んで標高52mの島として存在していました。

明治には、東京湾要塞の沿岸砲台として、太平洋戦争中には防空砲台や地下壕として使われました。

梯子を上って上がっていきます。
地下壕(1層)入口です。連絡道や倉庫として使われたようです。
地下壕(2層)です。突き当りの明かりが見えていますが、崩壊が激しく入ることはできません。
さらに上へと階段を上ります。
第二貝塚で、露頭に貝層の堆積を見ることができます。第一、第二貝塚とも縄文時代早期から前期のもので、国の指定史跡になっています。 出土品は明治大学、横須賀市に保管されています。
地下豪です、砲弾等を保管していました。近くには砲座跡が草木に覆われていました。
観測所跡です。階段を上がって上にあって、砲弾の着弾状況を確認していたようです。
砲台や砲座跡はもう少しはっきりせず、うまく写せませんでした。 これは、地下から砲弾等をクレーンのようなもので、引き揚げ用にあけられて開口部のようです。
夏島貝塚入口のすぐそばに立つ、明治憲法起草地記念碑です。夏島に起草時の伊藤博文別荘がありました。 日産自動車の社屋建設に伴い、その場所から離れた現在地に建てられました。
日産工場名に見える「小舟を繋いだタブの木」です。伊藤博文夏島別荘にあって小舟を繋いでいたもので、 別荘跡にそのまま立っているとと思われます
烏帽子岩の跡碑です。もともと海中の岩上に建てられていたものが移転されたものです。
貝山緑地公園です。この付近には、昭和5年から14年に霞ヶ浦に移転するまでに、予科練が 置かれていました。
公園内には予科練関連に碑が多数ありました。
展望台です。
貝山公園から歩いてすぐのところに、 東京湾第三海保構造物の保存展示されています。平成12年に撤去工事が行われ、保存状態の良かったものが、 保存されています。貝山公園からアップして撮った写真も載せます。
さらに先には、リサイクルプラザアイクルがあり行き止まりになっていますが、 大きに釣り人が、高いフェンスももろともせず、釣りしていました。

追浜車庫前バス停から追浜駅に出て帰りました。

―以上―