浦賀道を歩こう
「広重も描いた十三峠(田浦~汐入」ウォーク参加

2024年5月11日

横濱金澤シティガイド協会主催の『浦賀道を歩こう「広重も描いた十三峠(田浦~汐入」』に参加して 京急田浦駅から、汐入駅まで、さらに横須賀駅まで歩きました。(以下は歩いたコースの概略マップです)

東の浦賀道は、保土ヶ谷宿から上大岡、能見台、金沢、浦郷、十三峠を越えて、汐入、大津を通て浦賀に入ります。 その内 今回は、田浦から十三峠を越え按針塚、逸見を通り汐入まで歩きました。

京急田浦駅から出発です。山道(青木坂)を抜けていきます。(ただ、宅地開発で 痕跡はありません)
池の谷戸公園です。近くの谷戸間を結ぶ隧道があります。
盛福寺です。旧浦賀道沿いにあり、元禄3年(1680)ころ建立されましたが、 二度の火災により、当時の面影を残すのは山門のみで、市内の寺院建築最古の建築物です。
境内右手に田浦稲荷があります。歯が痛むとき拝むと治ると伝えられています
併設されている幼稚園はとても立派な建物です。
道沿いの所々に、こんな石碑があります。旧海軍が半原からの水道を引いた道沿いに 設置されていたものとのこと。
戸の川を渡る第四小田橋です。 江戸時代、大水が出て橋が流されてしまい、浦賀奉行が通るときに 盛福寺の山門を外して橋にしたと伝わっています。この辺りに 戸の橋があったと思われます。
安政5年から明治にかけて建てられた馬頭観音堂です。明治の初めには、田浦村に24頭の馬がいました。
御嶽稲荷神社です。もともと静円寺の鎮守として境内にあったものを、神仏分離令により現在地に移されました。
天正4年(1576)創建の長善寺です。浦賀道の難所・十三峠の山越えに備えるところでした。
梅林入口です。休憩しただけで、今回は立ち寄りませんでした。
急な階段を上がったところに十三峠の石碑です。
緩やかな上り坂を進むなかで、時々見える展望です。
昭和32年に建てられた開拓記念碑です。昭和23年に十三峠開拓団が結成されました。

途中鹿島台には立ち寄りませんでしが、鹿島台からのスケッチで、歌川広重が浦賀道毛見(逸見)の山中風景を描いています。

塚山公園内の按針塚です。三浦按針は日本橋に屋敷を、逸見ぬらに250石の知行を持っていました。 2基の供養塔は、右が按針、左が妻ユキの墓碑です。
公園内の「港の見える丘」からの展望です。遠く霞んでスカイツリーも見えました。
少し戻ったところで富士山も観ることが出来ました。
按針塚のぼり口にある「按針塚への道標」です。霞んでほとんど見えませんが、 日本語と英語で、按針塚までの距離が記されています。(大正10年の建てられました)
鹿島神社です。創建は応永17年(1410)三浦遠江守で、再建は按針のこジョセフです。
浄土寺です。畠山重忠の創建といわれ、この付近はぶどう畑と呼ばれ、按針の屋敷が あったと伝えられていますが、定かではありません。按針の守護神と伝えられる聖観音像と貝多羅歯の梵文経が残って います。貝葉経は、按針が朱印船貿易で東南アジアから持ち帰ったと伝えられます。
按針塚への道標です。
子育地蔵尊です。稲荷山の中腹にあたります。元禄のころ、子供連れの旅人16人全員が、 飢えのため亡くなったことを哀れんで建てたと云われています。
御幸橋です。横浜造船所の進水式に臨まれる明治天皇が何度も行幸された橋の名残の 欄干です。
ヴェルニー公園を見て、横須賀駅へ向かいます。
ティボディエ邸です。横須賀製鉄所福所長ジュール・クロード・ティボディエの 官舎で、本州最古級の西洋館で、その小屋組みを移設したものです。
公園内のバラ苑です。
目の前の横須賀港には、多くの艦船んが停泊しています。
横須賀駅にでて帰りました。
―以上―