金川砂子
「東海道神奈川歴史の道」参加

2024年10月27日

保土ヶ谷ガイドの会主催の金川砂子で巡る「東海道神奈川歴史の道」に参加 し、神奈川新町駅から横浜駅まで歩きました。
神奈川新町駅前の神奈川通東公園から出発です。ここは、昭和50年に移転した長延寺跡で、オランダ領事館跡の碑もあります。
良泉寺です。 開港当時、幕府から外国人宿舎にするように命じられた住職は、屋根をはがして、修理中との 口実でこれを断ったといわれています。
能満寺です。 この地の漁師が海中から虚空蔵菩薩を拾い上げ、これを祀ったと伝えられています。 また、山門は世界最古の企業「金剛組」が施工した。
(金剛組:創業は西暦578年。四天王寺建立のため聖徳太子によって百済より招かれた3人の宮大工の うちの1人である金剛重光により創業したとのこと)
神明宮です。神仏分離令によって、能満寺から分けれました。かつて境内を流れていた上無川の牛頭天王の ご神体が現れ、洲崎大神とこの神社に牛頭天王を祀ったとの伝承があります。
熊野神社です。神仏分離令によって、金蔵院から分かれました。三度の大火から逃れた「火伏の銀杏」が あります
金蔵院です。金川砂子には徳川家康の「御手折松」と称される梅の古が描かれていて、 境内に現在もあるようです。
神奈川地区センターと目の前の高札場(復元)です。
つい先日も訪れた成仏寺で、幕末にフランス士官や外国人宣教師の宿舎に充てられました。
ここもつい先日訪れた慶運寺です。浦島観世音像が観音堂に安置されています。開港当時はフランス領事館に なりました。
浄龍寺です。 開港時はイギリス領事館に充てられました。
神奈川の大井戸です。 東海道の近くにあり、東海道中の名井戸(大井戸)に数えられました。
宗興寺です。ヘボン博士が施療院を開き、5か月間で3,500人を診察したとのこと・
滝の川です。滝の川は権現山から長r出る水が滝のようになって落ちていたので、いわれるようになったとのこと。 川のはボラやエイ?などが泳いでいました。
洲崎大神です。源頼朝が安房神社のご神体を分離勧請して創建した鎌倉幕府直轄の 神社でした。神社の下には船着き場がありました。
甚行寺です。開港当時、本堂は土蔵造りでしたが、改造を加えてフランス公使館に充てられたとのこと。
本覚寺です。開港時にはアメリカ領事館が置かれました
大網金刀比羅神社です。かつて眼下に広がっていた神奈川湊に出入りする船乗りたちから崇められ、大天狗伝説 でも知られたいます。江戸時代、天狗のお面を載せた船が出帆。すると、船は動かなくなり、 その夜に船頭の夢枕に天狗が現れ、お面を神社のある場所に「置くように」と言ったそうです。 神社では以来、天狗のお面を奉っています。
台町の茶屋です。ここ台町あたりはかつて神奈川湊を見下ろす景勝地でした。 歌川広重の浮世絵「神奈川台の景」に描かれた「さくらや」が現在の田中屋の前身だそうです。
神奈川台の関門跡です。幕末に横浜の主要に関門・番所を設けて警備を強化しました。 神奈川宿の東西にも関門が作られ、その一つが西側・神奈川台の関門です。
上台橋です。神奈川宿の上方見附辺りにあたります。この地に橋が出来たのは昭和5年で、開発が進み 切りとおしの道路が出来てその上に橋が架けられたました。ここで、ウオーキングとしては終了で、 このあと、横浜駅まで歩いて帰りました。
―以上―