東戸塚地区センター主催の、日本古代史講座~古代史の謎に迫ろう~第3回「 隋書と日本書記で検討」を受講しました。 「日本書記で記録されている太子像」が実は後から作られたものではないか?そして法隆寺は聖徳太子一族の怨霊封じの寺ではないか? 、そして九州年号が701年(大宝)以前にあって、近畿圏とは別の文化圏が盛んだったのでないかなどの説明がありました。 法隆寺金堂、釈迦三像、そして聖徳太子像です。 ―以上―