東戸塚地区センターで開催された古代史講座(第五回)を受講しました。 「法隆寺の釈迦三尊像は聖徳太子の尺寸像か 光背銘の解読」と題して、釈迦三尊像は 厩戸皇子の快癒を願って立てたものではなく、九州王朝で別の目的で立てられた仏像を持って来たものではないか? そして法隆寺そのものも太宰府の観世音寺を移築したものではないかとの話がありました。なかなか興味深い話ですが、 学会での通説にはなっていないようです。 。 モミジがわずかに残っているのもありますが、付近のイチョウはもう葉が残っていません。 ―以上―