東戸塚地区センターで開催された古代史講座(第十回)を受講しました。
『近畿の巨大古墳と「天皇陵』と題して、 前方後円墳の説明と、天孫降臨や神代三陵のは考古学事実に対応することがあるとの話がありました。
前方後円墳の名称は蒲生君平が宮車説に基づき名付けられたが、今は否定されているが、その名のみが引き続き使われているとのこと。 前方後円墳の大きさを基準とする政治体制の議論には矛盾があり、その形、大きさで序列がつけられるものではない。 古事記、日本書記の天孫後輪、神代三陵の神話には考古学的事実の対応する歴史の事実が含まれているとのこと。 神武は九州を出自とする分流であり、皇祖が眠る九州を遥拝していたことが記紀に記述されているとのことです。