野毛山荘で開かれた歴史謎解き講座 「細川藤孝 ~その謎の出自に迫る~」に 参加しました。 足利義輝に仕え、義輝の暗殺後には義昭の側近となり、義昭の追放後 信長の家臣となった 細川藤孝について、明智光秀との関係、通説となっている藤孝の出自関係の説明がありました。そして、 藤孝の名乗った細川家とは、和泉上守護細川家とは血縁関係のない佐々木系大原氏を出自としているのでは ないかとの説明がありました。(江戸時代に作成された「寛永諸家系図伝」や「寛政重修諸家譜」における 細川家の系図においても疑問が多くあり、そして当時、 足利将軍が近侍の者に一門の名字を与え一門の列に加える措置(入名字)が多く行われ、 本名字とは別に、入り名字を名乗った人物が多いこともあり、名字がそのまま系図に当てはまるとは 限らないことがあります。最近の研究から藤孝の出自も 正史と相反する事実を指摘する論考が出始めているとのこと。) この講座を聞いたあと、9月15日朝日新聞にこんな記事が載っていました。 9月15日朝日新聞の記事です。 織田信長が細川藤孝に宛てた書状が永青文庫から見つかったとのこと 信長と義昭の側近集との関係が悪化していたが、細川藤孝だけが信長と通じていたことが わかるとのこと。今回テーマの出自問題とは関係ありませんが、明智光秀と細川藤孝の関係を考えるうえでも 重要だと思いました。 桜木町の駅前です。暑さにうだりながら帰りました。 ―以上―