大連・旅順・金州の旅(3-1)

平成29年6月1日から6月4日

朝食前に散歩に出かけました。勝利橋(旧日本橋)を渡って旧ロシア人街、日本人街を見てから大連駅まで歩き、長江路を通ってホテルに戻りました。

朝早く、ホテルの部屋からの眺めです。
ホテルを出ると目の前は長江路で、朝早くから路面電車が走っていました。
勝利橋(旧日本橋)を渡ります。帝政ロシアにより当初建てられ、名前が『ロシア橋』で、橋の北側には元帝政ロシアの官庁街でした。 日露戦争勃発後、ロシア軍によって一度壊され、1907年、日本が橋を造り直し、名前を日本橋と改名しました。第二次大戦後、勝利橋に改名されました。
大連歴史芸術展覧館(旧東清鉄道汽船本社)が目の前にそびえたちます。
団結街(ロシア風情街)を進みます。
大連船舶技術学校(ダーリ二―市長公邸)です。
旧大連市自然博物館跡(旧満蒙資源館)で、塀に囲まれ、閉鎖されていました。
旧日本人街を探して横道に進みます。表通りとは異なり庶民の暮らしぶりが伺えます。
上海路に入りました。すぐ脇に公園があり、大勢の人が、何やらスポーツに興じていました。
大連大学付属中山医院(旧満鉄大山寮)です。
この辺り一帯が鉄路建築群のあったところのようです。結局、旧日本人街の面影をはっきりとは、見つけられませんでした。
大連歴史芸術展覧館(旧東清鉄道汽船本社)です。大連市と舞鶴市が友好都市になっているようで、ここで、何やら展覧会が開かれるようです。
勝利街を通って進みます。途中の人民検察院です。
勝利街、建設街、菜市街の交差点です。
北口前の建設街区長距離バスターミナルです。
大連駅北口です。中ものぞいて見ましたが、改札があって通り抜けできませんでした。
駅西側の南北連絡通路を通ります。
大連駅南口です。駅の脇はごちゃごちゃしています。
遠くから眺めると、上野駅のような感じです。
路面電車201路が通る長江路に沿って帰ります。
なんどか路面電車が通りました。これは旧型車両です。
ホテルに戻りました。ホテルの玄関には結婚式用に飾られた車と、お祝いのためのアーチが設置されていました。

三日目の2ページ目へ

―以上―

*** All rights reserved Nobuo-Otsuki 2017***